悔い改めから
序 福沢諭吉は12、3歳の頃、年寄りの話す神罰などは大嘘だと思い、養家の所有のお稲荷さんの御神体の石を、道端で拾った石に取り替え、木の札も捨てました。お祭りになると「ばかめ、俺の入れておいた石に、御神酒をあげ、拝んでいるとは面白い」と一人嬉しがっていたと、その自伝に記されています。明治以降、福沢諭吉のように、日本は迷信よりも合理性を優先させ、技術、文化が進みました。しかし、現在も日本人は多くの神々を
序 福沢諭吉は12、3歳の頃、年寄りの話す神罰などは大嘘だと思い、養家の所有のお稲荷さんの御神体の石を、道端で拾った石に取り替え、木の札も捨てました。お祭りになると「ばかめ、俺の入れておいた石に、御神酒をあげ、拝んでいるとは面白い」と一人嬉しがっていたと、その自伝に記されています。明治以降、福沢諭吉のように、日本は迷信よりも合理性を優先させ、技術、文化が進みました。しかし、現在も日本人は多くの神々を
序 詩 12篇は、人の言葉と神の言葉が対比されています。 1.へつらいの唇(詩篇12:1~4) 人の言葉の特徴は、「むなしいこと」、「へつらいの唇」、「ニ心」「傲慢の舌」(2,3節)です。「むなしいこと」は、以前の訳では「うそ」と訳されています。 箴言6:12~19には、人の言葉の害毒が述べられており、悪者は、「争い」をまき散らし、滅ぼされます(12~15節)。16節以下のところでは 「主の憎むものが六つある
序 詩篇5篇は、3篇と同様に、朝の祈りの詩篇です。内容は、王であるダビデが、神を正しい裁判官、聖なる宮に住んでおられる王として仰ぎ見て、その最終的な裁きを願い求めています。 1.朝の賛歌(詩篇5:1~10) ダビデは一日の初めに祈りました。1節の「うめき」という言葉は39:3にも使われています。言葉にならないうめき声で神に訴えました。ダビデの苦しみは深く、ある時はうめき、ある時は叫び、神に向かって忍耐強
序 パウロは彼らに伝えた福音の言葉をしっかりと保てば、この福音よって救われると教えました(15:1~11)。福音の中心的な内容は、聖書に書かれているとおりに、イエス様が私たちの罪のために死に、葬られ、よみがえり、多くの人にご自身を現されたことです。パウロは、なぜ福音の事実を改めて確認したのでしょうか(12節)。それは、コリント教会にキリスト者の復活はない、キリストを信じても死んだらそれで終わりだと言
序 「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」(Ⅰコリ12:3) とあるように、御霊によって、人は初めて、イエス・キリストが主だと告白できるのです。また、「賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。」(4節) 奉仕や働きもいろいろありますが、「皆の益となるため」(7節) であることを教えています。すべてのクリスチャンは、一人一人が各器官としてキリストのからだにつな
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